伝帝釈天立像
平等院内にある浄土院に伝来した像で来歴は不明です。梵天(ぼんてん)あるいは帝釈天(たいしゃくてん)をあらわす天部(てんぶ)形で、寺伝では帝釈天としていますが、両手が後補のため当初の尊像は不明です。頭体両肩肘までを一材で彫出するヒノキの一木造(いちぼくづくり)で、背刳りを施して背板をあて、両袖から先を別材で矧いでいます。袖先、足先は後補です。当初は彩色されていました。構造的には平安時代前期の古様を残していますが、丸い下ぶくれで穏やかな顔立ちや、伸びやかなプロポーション、全体に浅く柔らかい彫りなどから、11世紀前半の制作とみられています。
台座は、江戸時代に補作されたもので、須弥山(しゅみせん)を模した岩座の四隅に帝釈天の眷属である四天王を配しています。四天王像の内、多聞天(たもんてん)以外の3躯は古様を呈し、小像ながら迫力のある面貌や甲冑の意匠に鎌倉時代の様相を残します。これらの来歴は不明で、別の尊格の転用像である可能性もあります。また四天王の配置が一般的な配置と異なる点など謎が多くあります。